DIYのない世界
なにかを知れば知るほど、その度に出会うのは、“無知な自分”という新鮮な一面。
知った瞬間の喜びと同時に訪れるのは、「知らなかった‥!」という衝撃。
知ったことで、世界が大きく広がる瞬間、同時に自分が一回り小さくなるような気がします。
ある日の朝。
私の持っている二本の足で、家の前にあるいつもの道を歩き始めた時のこと。
突然、ハッと雷に打たれたような衝撃が走りました。
「今、私の足の裏が接地しているこの大地のことを、私は何も知らない‥」
突然、そんなことに気が付いた瞬間、全身に衝撃が走って、しばらくその場にへたり込んでしまった。
「自分は何年、人間をやってきたのか‥?」
その事実に目が覚めたとき、ものすごいショックを受けた。
生まれた時から、自分を支え続けてくれていたものに対して、深い思いを寄せることなく人間をやってきた自分に、ただただショックを受けました。
・・・
その日の衝撃から、3年が経ち、5年が経ち、気が付けばもう10年以上が経ちましたが、おそらくこの震えるような気持ちは、一生色あせることはないでしょう。
そして、「知ること」の世界と似ているのが、「つくること」の世界です。
そこに生きている木、
そこに息づいている土、
いちばん最初の素材まで遡って、一番はじめから自分で作ろうとすればするほど、「自分でやってないんだ」という衝撃の世界に目が開き、自然界に対して畏怖の念が込み上げてきます。
自分の頭で考え、自分の手足を使ってやればやれるほど、自分のやることなすことのすべてが、他の無数の命に支えられている事実に、静かな衝撃を受けます。
究極のDIYが行き着く先は、「なにひとつDIYじゃない」ということに目を覚ますことなのかも知れません。
自然への畏敬の念が、何度も何度も自然と込み上げてくる生き方にシフトする時、
感謝は「するもの」ではなく、常にそこにあり、いつもそこに『流れているもの』になる—・・
そんな流れと一体になる時、自然と内側から満たされて、安心感に包まれながら生きられるようになります。
そんな豊かな生き方が、この地球にはまだまだあることを、この場をかりて、すこしずつでもご紹介していきたいのです。
あなたのところにも、いのちの祝福の歌が流れ込んでいきますよう、ささやかながら、希望を込めて。
Bio Sinfonia